トレッキングmotorcycle、HONDA ハンターカブ“黒髪のHONDA CT110”のお話。
subtitle『だからわたしはHONDAが好きなんだ』
カフェレーサーと言う言葉がちょっと陳腐化しだした頃にトレッキングバイクと称してホンダが発売した野性味溢れる小型バイクHONDA CT110、通称“ハンターカブ”。
その頃はフルカウルのロードスポーツ一辺倒で、今流行のネイキッドと呼ばれるモノはあまり人気が無く、アメリカンタイプも同様の不人気を託っていた時期である。
“HONDA CT110”のコンセプトはこれが初めてではない。以前にCT50として50ccのスーパーカブの車体に同様の装備をしてサブミッション(副変速機)を取り付けた軽快な原付車が存在したこともあった。
日本国内ではとりたてて人気車種ではなく、もっぱらアメリカ合衆国やオーストラリアでこのバイクの価値を認めた人々が利用していた特殊な形態であった。
スクーターや原付バイクのほとんどは今と違って2サイクルエンジンを搭載し、燃費の悪化もなんのその。ピーンと言う高音を発しながら紫煙を曳いて町中を駆け回っていたが、ホンダのスーパーカブ一族だけは高燃費・高耐久力で町の仕事を支えていた影の立て役者だった。
アメリカ合衆国やオーストラリアで人気があっても日本という特殊な環境でこういったトレッキングバイクが人気を博するかというと今も昔も否である。
しかしこのバイク、妙に気になるのである。カブの派生だとはいえそれなりの強化装備をしてあり、主だったところでは浅瀬を渡ることが出来るようにエアクリーナーの口はリアキャリア所に上を向いて付けてあり、エンジンを保護するエンジンガードやテレスコピックフロントサスペンション、水に浸からないように上に跳ね上げて取り付けられたマフラー、幅広のハンドルとクリアランスを大きめにとったフロントフェンダーなどが走りに特化した魅力を醸しだしている。
わたしのところにやってきた“HONDA CT110”は製造中止を知った友人Tが1983年に奈良市のディーラーに探してもらって購入した国内モデルの最終型で、彼のガレージで長い間惰眠をむさぼっていた代物である。
ついにそれがわたしの元にやってきた。いや、正確に言うとちょっと回り道をしてやってきたのである。
年の瀬も押し詰まった2001年末、“CT110”を持つ友人Tのところへもうひとりのバイク好きの友人Nが訪れた。倉庫の掃除中“CT110”は誰も乗らないと言う理由で捨てられる寸前だった。
そのバイク好きの友人Nは早速“CT110”を引き受け、もう一台のHONDA GB250クラブマンと共に自宅に持ち帰った。
年が明けた2002年初頭、“HONDA CT110”の元の所有者である友人T宅に集まったとき、「“CT110”をバイク好きのNにあげたよ。あのバイクはいらなかったよね。」って切り出した。
「えっ!?“CT110”を手放したの?」この時のわたしの落胆ぶりを想像して欲しい。きっと虚空を睨み落胆の表情が現れていたに違いない。
2日後、元のオーナーである友人Tから電話があった。「あのバイク、そんなに欲しかったって知らなかったよ。それで先ほど持って帰った友人Nに連絡しておいたから彼に直接連絡して交渉してくれたらいい。」と言ってくれた。
そうと決まったらわたしは人質になった美女を助けに行く騎士の気分である。
早速、人質美女の“CT110”をかっさらっていったオトコに電話した。「わたしの可愛い“CT110”を無償で譲って欲しいのだが・・」
抵抗を見せるであろうと思っていたが、いともあっさりと「ああ、ええよ。いつ取りに来る?」って言うではないか?
「あのぅ〜〜今から行ってイイ?」肩すかしを食って拍子抜けした気分と共にBeatに乗って彼の住まいに向かった。
彼は自転車が趣味であり仕事でもあった。多彩でかなりのバイクコレクターでもある。
彼を待つこと数分。家から出てきたバイクコレクターの友人NをBeatの助手席に乗せ、彼の秘密の隠れ家に向かった。
一際高い塀に囲まれた隠れ家の鍵を開けると中にはポルシェ356や初期型のジムニーに混ざって、人質美女である“CT110”が衣装をはぎ取られて座らされていた。なんと他に2台も“米国製CT110”があった。
わたし風に言えば“金髪のCT110”である。そっと駆け寄って持っていた毛布を“黒髪のCT110”に掛けてやる。
彼はバイクを略奪し、それを輸送するための専用車を持っている。油圧で上下するリフトを持った特殊車だ。まるでバイクのシンジケートのような奴である。
彼はリフトを下ろして衣装の一部を脱がされた人質美女を積み始めた。微かなホコリにまみれてキャブレターとエアクリーナーと燃料タンクを外された状態で積載車に乗った“黒髪のCT110”と共に彼の秘密の隠れ家を後にした。
そのまま我が家に直行かって?いいえ、面倒くさがり屋のわたしは“黒髪のCT110”を20年間お世話になっている奈良市内にある「MotoPower」に持ち込んで、衣装をはぎ取られた“CT110”のリハビリテーションをお願いしたのである。
完成なった“黒髪のHONDA CT110”のお話はまた後日!
その頃はフルカウルのロードスポーツ一辺倒で、今流行のネイキッドと呼ばれるモノはあまり人気が無く、アメリカンタイプも同様の不人気を託っていた時期である。
“HONDA CT110”のコンセプトはこれが初めてではない。以前にCT50として50ccのスーパーカブの車体に同様の装備をしてサブミッション(副変速機)を取り付けた軽快な原付車が存在したこともあった。
日本国内ではとりたてて人気車種ではなく、もっぱらアメリカ合衆国やオーストラリアでこのバイクの価値を認めた人々が利用していた特殊な形態であった。
スクーターや原付バイクのほとんどは今と違って2サイクルエンジンを搭載し、燃費の悪化もなんのその。ピーンと言う高音を発しながら紫煙を曳いて町中を駆け回っていたが、ホンダのスーパーカブ一族だけは高燃費・高耐久力で町の仕事を支えていた影の立て役者だった。
アメリカ合衆国やオーストラリアで人気があっても日本という特殊な環境でこういったトレッキングバイクが人気を博するかというと今も昔も否である。
しかしこのバイク、妙に気になるのである。カブの派生だとはいえそれなりの強化装備をしてあり、主だったところでは浅瀬を渡ることが出来るようにエアクリーナーの口はリアキャリア所に上を向いて付けてあり、エンジンを保護するエンジンガードやテレスコピックフロントサスペンション、水に浸からないように上に跳ね上げて取り付けられたマフラー、幅広のハンドルとクリアランスを大きめにとったフロントフェンダーなどが走りに特化した魅力を醸しだしている。
わたしのところにやってきた“HONDA CT110”は製造中止を知った友人Tが1983年に奈良市のディーラーに探してもらって購入した国内モデルの最終型で、彼のガレージで長い間惰眠をむさぼっていた代物である。
ついにそれがわたしの元にやってきた。いや、正確に言うとちょっと回り道をしてやってきたのである。
年の瀬も押し詰まった2001年末、“CT110”を持つ友人Tのところへもうひとりのバイク好きの友人Nが訪れた。倉庫の掃除中“CT110”は誰も乗らないと言う理由で捨てられる寸前だった。
そのバイク好きの友人Nは早速“CT110”を引き受け、もう一台のHONDA GB250クラブマンと共に自宅に持ち帰った。
年が明けた2002年初頭、“HONDA CT110”の元の所有者である友人T宅に集まったとき、「“CT110”をバイク好きのNにあげたよ。あのバイクはいらなかったよね。」って切り出した。
「えっ!?“CT110”を手放したの?」この時のわたしの落胆ぶりを想像して欲しい。きっと虚空を睨み落胆の表情が現れていたに違いない。
2日後、元のオーナーである友人Tから電話があった。「あのバイク、そんなに欲しかったって知らなかったよ。それで先ほど持って帰った友人Nに連絡しておいたから彼に直接連絡して交渉してくれたらいい。」と言ってくれた。
そうと決まったらわたしは人質になった美女を助けに行く騎士の気分である。
早速、人質美女の“CT110”をかっさらっていったオトコに電話した。「わたしの可愛い“CT110”を無償で譲って欲しいのだが・・」
抵抗を見せるであろうと思っていたが、いともあっさりと「ああ、ええよ。いつ取りに来る?」って言うではないか?
「あのぅ〜〜今から行ってイイ?」肩すかしを食って拍子抜けした気分と共にBeatに乗って彼の住まいに向かった。

彼を待つこと数分。家から出てきたバイクコレクターの友人NをBeatの助手席に乗せ、彼の秘密の隠れ家に向かった。
一際高い塀に囲まれた隠れ家の鍵を開けると中にはポルシェ356や初期型のジムニーに混ざって、人質美女である“CT110”が衣装をはぎ取られて座らされていた。なんと他に2台も“米国製CT110”があった。
わたし風に言えば“金髪のCT110”である。そっと駆け寄って持っていた毛布を“黒髪のCT110”に掛けてやる。
彼はバイクを略奪し、それを輸送するための専用車を持っている。油圧で上下するリフトを持った特殊車だ。まるでバイクのシンジケートのような奴である。
彼はリフトを下ろして衣装の一部を脱がされた人質美女を積み始めた。微かなホコリにまみれてキャブレターとエアクリーナーと燃料タンクを外された状態で積載車に乗った“黒髪のCT110”と共に彼の秘密の隠れ家を後にした。
そのまま我が家に直行かって?いいえ、面倒くさがり屋のわたしは“黒髪のCT110”を20年間お世話になっている奈良市内にある「MotoPower」に持ち込んで、衣装をはぎ取られた“CT110”のリハビリテーションをお願いしたのである。
完成なった“黒髪のHONDA CT110”のお話はまた後日!