男小道具飛び道具「銀玉鉄砲と2B弾の日々」
BROSの少年時代(昭和35年から昭和43年あたりの話です)
のっけから怪しいタイトルです。
ある方の掲示板にも、そしてわたしのプロフィールにも書かせていただきましたが、小学生の頃、わたしの棲む近所のガキどもは近くの有名なホテルの中庭を戦場にして毎日のように戦争ゴッコをしていました。
今のサバイバルゲームとルールは似たようなものです。
そのホテルはと言うと天皇陛下もお泊まりになられる由緒正しいホテルでして、中庭には燕尾服を着たホテルマンが楚々と歩いているようなそんな場所でした。
子供であるわたしたちはそんなことを知る由もなく、学校が終わるとポケットにマッチと2B弾、そして銀玉鉄砲を持ってそのホテルの裏庭に集まるのでした。
ある日、二手に分かれて戦争ゴッコをしていたわたしたちは、敵軍に追いつめられて逃げ場が無くなり、やむなく禁断のホテルの中庭(!)に入り込んだのです。
そこで見た人物は?赤いベストを着た背の高い外人。それも見たことのある顔でした。昭和30年代も後半、TV映画はウェスタンブームで、クリント・イーストウッドが若かりし頃に出ていた「ローハイド」やジェスとスミスでお馴染みの「ララミー牧場」などが週末になると放映されていました。
その人物とは、「ララミー牧場」に出ていたジェス役の「ロバート・フラー」その人だったんです。
夕日が射し込むカフェでお茶を楽しんでいたのでしょう。わたしたちガキどもに気づいたホテルマンは急ぎ足で近寄ってきて追い出そうとしました。
それを見ていたロバート・フラーは立ち上がってわたしたちガキどものところまで来ました。
わたしの通った幼稚園はカトリックだったので「外人」を見るのには抵抗はなかったのですが、TVに出ていた俳優を見るのは初めてです。ドキドキしながら見つめていると、にっこりと笑って手を差し出してくれました。
何がなんだか分からずにロバート・フラーの手を握ったことを今でも鮮明に覚えています。
ワルサーPPKの話
思い返してみると本当に怖いもの知らずの小学生時代でした。 中学生になると、その頃に発売されていた週刊誌「少年マガジン・少年サンデー・少年キング」といった雑誌の裏表紙にモデルガン(?)の広告が載っていました。
銀玉鉄砲しか知らないわたしにはそれがどんなものかさえ分かりませんでした。
コルト45ガバメント・ルガーP-08・ワルサーP-38・ワルサーPPK・ブローニング380・S&Wチーフスペシャルなどが2,200円から4,500円ぐらいの価格で販売されていた頃です。
販売元は東京は台東区だったと思いますが定かではありません。通販ですね。
あの頃の通販ってちょっと怪しげで今のネット販売と違ってセキュリティのかけらも無いような時代でしたから、どうやって購入するかさえ判りませんでした。
現金書留?送料?なにそれ?????ってぐらいの知識しか持ち合わせていなかったのです。
そのうちに漫画を読むよりも裏表紙のモデルガンの広告を見るほうが楽しみになり、支払方法に「切手も可」と書かれてあるのを知りました。
切手ならある!
大したコレクターでも無かったわたしは今までに貯めていた切手をそれに充当して、ついに念願のモデルガンを購入する決心をしました。
郵便封筒に切手を入れてポストに投函した後、「これでついにモデルガンが手に入る。」と喜んだものです。
一週間ほど経ち、愛想のない包みが自宅に届きました。
学校から帰ってその包みを見ると、貼ってある切手はどうも見覚えがある。
あれはわたしが現金の代わりに送った切手の一部を送料として使っていたんでしょうね。
記念切手ばっかりを貼り付けた郵便物なんて見たこともない母親は怪訝な顔をしていました。
自分の部屋にそそくさと持ち込んで開封すると中にはワルサーPPKと金色に輝く弾が6発、しっかりと入っていました。
現在のモデルガンみたいに実銃に忠実ではなかったですが、あのずっしりとした亜鉛ダイキャストの重さとうっすらと油をひいて黒光りする肌にはもう参りました。
鬼玉と言われる直径5mmの赤い火薬をハサミで慎重にくり抜き、金色に輝く薬莢の先端に開いた穴に2枚ほどそっと押し込みます。
6発の弾すべてに火薬を装填した後、マガジンにそれを押し込んでグリップのしたからマガジンストップがかかるまで押し込みました。
トリガーを引くとスライドがジワーッと後退し(ブローバックのギミックみたいなもの)トリガーを引ききる寸前にスライドが前進し、マガジン最上部のカートリッジをチェンバーに押し込むと、先端に入っている火薬がバレル後部にある前撃針にぶつかって轟音と共に発火する仕掛けです。
今から考えるとチョロい、本当に原始的な機構だったのです。
ブローバックなんてどんな具合になるかさえ知らずに、実銃ってこうなのかな?という微かな疑問と、撃発した後に部屋に漂う酸っぱいような火薬の匂いが中学生のわたしを陶酔させたのは確かな事実でした。